第Ⅱ部では、科学技術活動を支える最も重要な基盤である人材をとりあつかう。ますます多様化し、複雑化しつつある科学技術を適切にとらえるために、第 3 章では、研究開発人材 (狭義の科学技術人材) に対象を限定せず、我が国が移行しつつある知識社会とそれを支える人材に対象を拡げ検討する。第 1 節では、知識社会の進展自体に触れるとともに、知識社会への移行が必然性を持つ背景について述べる。第 2 節では知識社会の進展に伴って人材雇用や教育に起きている変化を概観し、最後に知識社会における科学技術人材についての展望を述べる。
3.1.1 知識社会への移行
我が国をはじめとする先進工業国は、工業化社会から知識社会に移行しつつあると言われている。知識社会という言葉は広く使われているが、一般的に、知識が社会・経済の発展を駆動する基本的な要素となる社会を指す語として用いられている (1)。知識社会という言葉と概念をめぐっては様々な議論があり、実際にそのような社会が到来しつつあるかどうかをめぐる対立や、この概念の曖昧さ自体を批判する意見もある。しかし、多くの統計データ、指標に示されているように、経済のサービス化や知識集約化、あるいは社会の情報化が進展していることは事実であり、知識を創造し、普及させ、活用する能力の重要性が高まっていることは確かである。
本節では、そのような認識のもとで、来るべき知識社会に必要な人材像を明らかにすることを試みる。それは、科学技術活動が多様化し、範囲が拡大しつつあるなかで、従来の科学技術の枠組みにとらわれずに広い視野から人材の状況を捉える必要があるためである。
知識社会に必要な人材像の検討に先立ち、知識社会化の進展そのものについて概観する。我が国が知識社会へ移行しつつあることを示すことは容易でないが、経済のサービス化と知識集約化が進展していることを示す指標は存在する。図 3-1-1 に、日本の GDP の産業別シェアの推移を示した。日本では、1970 年代初めまで、工業化が進展したが、その後、他の先進工業国と同様に、サービス産業の占める割合が増大した。さらに、1990 年頃を境に、すなわち冷戦の終了に伴い、日本の産業構造の高度化は一層進展し、第 3 次産業 (サービス産業) の占める割合がさらに増大していることがわかる。
知識の集約化については、いくつかの指標が存在するが、ここでは、知識に対する投資に注目し、各国の知識集約化への取り組みを比較しよう。
OECD が開発した知識に対する投資についての指標は、研究開発、ソフトウェア、高等教育に対する国全体の投資額を GDP で基準化したものである(図 3-1-2)。この 3 つの領域は各国において重視されており、特に研究開発とソフトウェアに対する投資は各国において実際に大幅に増加している。
この指標によれば、日本の研究開発に対する投資水準は OECD 加盟国のなかでは高いが、高等教育への投資水準は低く、ソフトウェアへの投資水準も決して高いとは言えない。
わが国が知識社会の基盤を充実させるためには、研究開発への投資が今後も必要であると考えられるが、それだけでなく、ソフトウェア (情報技術) や高等教育への投資を充実させる必要があろう。
【図 3-1-2】 知識への投資
- 注:
- OECD、デンマーク、ベルギー、ギリシャ、スロバキア、メキシコは 1999 年のデータそれ以外の国は 2000 年。
- <日本、米国、カナダ>高等教育ではなく中等教育に続く教育が高等教育のデータに含まれている。日本、米国、カナダ>
- <ギリシャ、デンマーク>1992 - 1999 年における年平均成長割合。ギリシャ、デンマーク>
- ハンガリー、ポーランド、スロバキアを除く。ベルギー、チェコ、ハンガリー、韓国、メキシコ、ポーランド、スロバキアを除いた 1992 〜 1999 年の年平均成長割合。
- <ベルギー>高等教育のデータは直接的な公的支出のみを計上。ベルギー>
- ベルギー、デンマーク、ギリシャを除く。ベルギーを除いた 1992 〜 1999 年の年平均成長割合。
- 資料:
- OECD、"STI Scoreboard 2003"
- 参照:
- 表 3-1-2
3.1.2 人材に関する社会的変化
次に、人口構成や労働力に関して、我が国や他の先進工業国で起きている変化を概観する。このような変化は、知識社会への移行を促す原動力となっていると考えられる。したがって、次節において知識社会化が人材に関して及ぼす影響について検討するに先立ち、ここでは、知識社会化の進展が必然性を有することを示すことが目的である。
まず、人口の年齢構成が、急激に変化している。図 3-1-3 に、日本の年齢階級別人口構成比の推移と将来推計を示す。少子高齢化社会へと移り変わり、主要な労働力である 15 歳以上 64 歳以下人口の全人口に占める割合が、2000 年の 67.9% から 2030 年には 59.2%、2050 年には 53.6% へと急減すると推計されている。
さらに図 3-1-4 に示すように、各国の労働力率も 1990 年代以降頭打ちになってきており、労働力人口の減少に早急に対応する必要が生じている。
一方で高学歴化が起きている。図 3-1-5 に、日本および米国における 25 歳以上人口に占める大学卒以上の学歴を有する人口割合の推移を示す。
大学卒といっても、教育内容や進学率は各国様々であり、単純な比較は難しいものである。しかし、日米ともに大学卒以上の割合が上昇しており、高学歴化が確実に進んでいる。
労働者の数が減っても、個々人が高学歴である強みを生かせば、国全体としては労働力人口低下による影響を受けずに済む - これが知識社会への移行が将来的な社会の姿として語られる大きな要因である。知識を核としたこの新しい労働の様態は、「知識労働」とも呼ばれている。
現在は知識社会へと移行してゆく途中段階、すなわち過渡期であると一般的にはみなされているが、人材にもすでに過渡期の影響が出始めている。
たとえば、主要 5 か国の産業構造を見ると (図 3-1-6)、いずれの国でも第二次産業の従業者の割合が減り続け、代わって第三次産業が大きく伸びている。IT 産業やヘルスケア産業など知識産業は、第三次産業に分類されることが比較的多いことから、知識産業の興隆がうかがえる。
また、図 3-1-7 には日本における職業別の就労者数の推移を示した。専門的・技術的職業従事者の伸びが大きく、また保安・サービス職業従事者も伸びていることに、知識労働の増加が表れているといえよう。
3.2.1 人材雇用の変化
前節で見てきたように、知識社会への移行に伴う知識労働の増加は着実に進んでいる。知識は細分化・高度化し、その結果、企業は分社化やアウトソーシングなどを選択するようになってきている。この変化は人材雇用の側面、すなわち、雇用形態、勤務形態、海外人材登用などにも、影響を及ぼすものと考えられる。しかし、知識社会への移行に伴う影響だけを測ることは難しい。とくに日本の場合、近年の経済状況により人材雇用は大きな影響を受けていると考えられる。このことを前提としたうえで、近年の人材雇用の変化を以下に見ていく。
まず、雇用形態であるが、日本において、正規の職員・従業員として就業する者の割合は減少し、パート、アルバイト、派遣などとして就業する者が増加している (図 3-2-1)。
主要 5 か国における全雇用者に占める一時雇用者の割合の推移 (図 3-2-2) をみても、フランスやドイツが日本と同様に一時雇用者の割合を増加させている。ここで、一時雇用者とは、主として従事する職務が終身雇用契約でなく任期付きの雇用契約の者を指しており、常勤・非常勤をともに含む。
図 3-2-1、2 に見られる変化は、経済状況が直接の原因と考えられる。しかし、ひとたび増加してしまえば、知識社会へ移行している折、または移行が完了した折に経済が好転しても、一時雇用者は減少しないのではないかという見方がある。つまり、企業はその時々に必要とする知識をもつ人材を求め、労働者は自らの知識をもっとも活かせる (評価してもらえる) 企業を選ぶ、という様式が確立していくと考えられるのである。
一時雇用者の増加は勤続年数の低下を招くように思いがちだが、実のところ、全産業においてもサービス業に限っても、勤続年数は増加傾向にある (図 3-2-3)。つまり、ある企業の正職員から別の企業の正職員へ、という転職は減少しているとみられる。知識の細分化に伴って企業がコアコンピタンスを明確にしつつあり、個人の知識を活かせる場もまた、細分化された特定のものとなって、むしろ転職を減少させていると考えることができる。また、派遣による労働者は、派遣先が変わっても派遣会社を移らない限り、勤続とみなされていることも要因であろう。
転職の減少は、中途採用の割合が職種に依らずに減少してきている (図 3-2-4) ことにも表れている。
このように企業と個人との関係が知識社会に即したものに変化してゆくならば、職種、能力、成果に対する賃金制や報酬制の導入なども拡大してゆくものと思われ (図 3-2-5)、今後の動向が注目される。
つぎに勤務形態であるが、裁量労働制・事業場外労働のみなし労働時間制・フレックスタイム制などを採用する企業が増えてきている(図 3-2-5)。ここで、裁量労働制とは、業務遂行の手段や時間配分等を労働者の裁量に大幅にゆだねる必要がある業務を労使で定め、労働者をその業務に就かせた場合、実際に働いた時間にかかわらず、あらかじめ労使で定めた時間働いたものとみなす制度である。事業場外労働のみなし労働時間制とは、事業場外の労働で労働時間の算定が困難な場合に、所定時間労働したものと見なす制度である。フレックスタイム制とは、1 か月以内の一定期間における総労働時間をあらかじめ定めておき、労働者がその枠内で各日の始業終業時刻を自主的に決定して働く制度である。
労働者が知識労働者となったとき、企業に決められた時間割どおりに決められた作業をこなすのではなく、自らの勤務をマネージメントすることを認められるようになったといえる。
高度な知識を持つ人材をいかに集め、配置するかは、企業の実力が試されるところである。そのなかには海外人材の有効な活用も含められる。
図 3-2-6 には、欧州主要国における国外からの高度人材の登用について示した。この調査は、ドイツ 340 社、フランス、英国、オランダ各 170 社の計 850 企業を対象にしており、回答企業の分布は、化学 (20%)、製造 (31%)、金融 (22%)、IT (16%)、研究開発 (9%) となっている。対象企業のうち海外高度人材を登用している企業の割合は軒並み 30% を超え、英国では 50% に届こうとしている。海外高度人材登用中の企業において、全労働者に占める海外高度人材の割合は 10% 程度であり、オランダでは 17% 近い。
日本については、このような統計資料はないが、近年、例えば、人材派遣業界において国境を越えた IT 人材確保が行われるなど、海外人材を受け入れる動きが出始めている。しかし、国の政策という観点では、これまでのところさほど動きが見られない。
海外では、企業による海外高度人材の登用を国の政策が牽引・後押しする例が出てきた。図 3-2-7 に示すとおり、オーストラリアにおける IT 関連人材は 1995 年以降、一貫して入国者数が出国者数を上回っている。この傾向は、積極的に高度人材を受け入れるという、1970 年代以降のオーストラリア政府の移民政策に支えられている。
知識が細分化・高度化されてきた結果、企業はコアコンピタンス (企業の中核となる能力や適性) を明確にせざるをえなくなり、分社化やアウトソーシングが増えたと言われる。そのぶん、企業のコアとなる業務については、高度人材を厳選し、その人材が能力を発揮できる環境を与えるように変化している。この傾向が続けば、個人の持つ知識が真に有効に活用できる職場は限定されてくるかもしれない。よって、自らの知識を活用できる場を探し出す能力、またはそのような場を創り出す能力が、個人に求められていく。そして、知識労働者にとっての企業という組織は、個々人の知識が集約され、交換される場として再定義されるであろう。
3.2.2 教育の変化
知識労働には高度な知識が必要であり、しかも、知識は日々進歩している。学校教育を終えて就職した労働者は、その後も新しい知識を取り入れ、それを活用してゆかなければ、知識労働が成り立たない。
図 3-2-8 は、2000 年度における正社員規模別の計画的 OJT (On the Job Training) と Off-JT (Off the Job Training) の実施率を示したものである。企業規模に依らず Off-JT が OJT を上回っており、見様見真似で仕事を覚えるよりも、新しい知識を外部から取り入れながら仕事を組み立てている様子がうかがえる。
図 3-2-9 に示すように、社会人教育は様々な教育機関において実施されている。例えば、高度な教育を実施する機関である「大学院」では、2000 年において、829 研究科のうち 57.4% が社会人入試を行っている。社会人教育は、技術発展や社会の複雑化に対応するため、或いは社会が必要とする専門知識やスキルの変化に対応するための重要な機能を果たすようになりつつある。
知識が細分化・高度化するなか、学問体系に代表されるような大きな知識体系を習得することだけでなく、細分化・高度化された知識を習得していることが必要とされる場面も出てくる。そのような細分化・高度化された知識の習得を認定するのが資格である。資格取得をめざす社会人のニーズに伴って、資格取得支援教育も多くの機関で実施されている (図 3-2-10)。グローバリゼーションの流れのなかで、今後は、国際的相互承認のなされている資格の有効性が高まると考えられる。
さらに大学院においても、社会人大学院生の割合が高まっている(図 3-2-11)。社会人とは、調査日において職に就いている者、すなわち、給料、賃金、報酬その他の経常的な収入を目的とする仕事に就いている者であり、企業等を退職した者、及び主婦等をも含む。今後は専門職大学院の増加により、ますますこの傾向に拍車がかかることが予想される。
以上のように、知識労働に就くということは、ひとたび学校を卒業して職を得た後も、新しい知識を取り入れるべく継続教育を受け、資格を取るなどして自らの知識をアピールしていくことの連鎖といえよう。
3.2.3 科学技術人材
これまでの項では、知識社会へ移行するなかで、人材一般にどのような変化が起きているかを概観してきた。ここにみられた傾向は、科学技術活動にも当てはまると考えられる。なぜなら、科学技術活動が、高度な知識を使いながら新たな知を生み出す、知識労働そのものだからである。
たとえば、継続教育や国際的資格などの動きが科学技術分野にも及んでいる。技術士法第55条により継続教育が実施されている技術士制度や、技術者教育の国際的相互承認をめざしているJABEEの日本技術者教育認定制度がその良い例であろう。
ここで、「科学技術人材」とは研究者・技術者だけを指すものではないことを強調しておきたい。前にも述べたように、知識が高度に専門化し、細分化していくのが知識社会における知識の特徴である。これは研究開発の現場にも通じる。研究者・技術者が行う活動の範囲はより特定のものとなり、代わって新たな職域が発生してくると考えられるのである。
例えば、評価者、プログラムディレクター、STS 研究者 (STS: Science, Technology and Society、科学技術社会論などと和訳される)、科学技術 NPO (Non - profit Organization: 非営利組織) などは、そのような新しい職域に分類されうる。ほかに、特許や科学技術ジャーナリズムや PUS (科学技術の公衆理解: Public Understanding of Science) に従事する人材も、科学技術人材といえるであろう。テクノクラート (科学技術の専門知識に通じた官僚) も同様である。
しかしながら、これまで日本では「科学技術人材」という枠組みがあまり明確でなかったため、科学技術人材に関する統計や指標が未だ整備されていないのが現状である。
国際的には、2002 年に OECD (経済協力開発機構) の人材統計のための定義集『キャンベラ・マニュアル』の再検討が行われ、「科学技術人材 (Human Resources on Science and Technology)」の新しい定義が提案された。その新しい定義によれば、「科学技術の高等教育を修了した者、または、現在科学技術に関わる仕事に従事する者」が科学技術人材であり、そのなかでも「科学技術の高等教育を修了し、かつ、現在科学技術に関わる仕事に従事する者」を科学技術人材のコアと位置付けている。
この定義にしたがうと、科学技術人材のコアも研究者・技術者には限られない。高度な知識をもって、科学技術の知識を伝達したり、検証したり、マネージメントしたりする人材が、知識を生み出す人材と同じように尊重される時代を反映したのが、OECD による科学技術人材の新定義と言えよう。
とはいえ、科学技術の新しい知識を生み出す存在としての研究者・技術者の価値は、今もって健在である。新たな職域の人材が充実してくれば、むしろ研究者・技術者は知識生産に集中することが強く望まれるようになるのかもしれない。