老児とデコピンのソウカラボラトリ - Yahoo!ブログ
アンザックデイ。
オーストラリアの人々が戦争の事を忘れない為に設定した記念日である。
第1次世界大戦中、1915年4月25日オーストラリアとニュージーランドの連合軍(アンザック:ANZAC=Australia and New Zealand Army Corps)のガリポリ半島上陸を記念した日。 それがアンザックデイだ。
ダーダネルス海峡北岸、トルコのガリポリ半島に展開するトルコ軍戦線を突破するため、イギリス軍とアンザック軍を中心とする遠征隊が半島南端に上陸するも、3万3千人以上の戦死者(うち約4分の1がオーストラリア軍兵士)を出し作戦は失敗。
しかしこのことがオーストラリアのアイデンティティと愛国主義形成にとって重要な基盤となったのだそうだ。
翌年、1916年の4月25日にガリポリ半島において軍により行われた戦死者追悼式が「アンザックデイ」の始まりだそうな。その後、1920年代中頃からオーストラリアの祝日として各州に広まり、後に他の戦争による戦没者慰霊の役割も兼ねるようになった。
他の戦争........例えば第2次世界大戦末期、ニュージーランド、オーストラ� �ア、パプアニューギニア周辺に日本軍が攻撃を仕掛けたことによる被害者もその対象となっている。
初めてアンザックデイについて聞かされた時は、その日本軍の攻撃の被害者の追悼行事であるというニュアンスの事を言われた記憶があるが、それは誤解だったようだ。
しかしそれが事実としてそれがある以上、あの戦争において日本はオーストラリアでもやっぱり悪役には違いないわけで。
そして今、老児はその歴史のツケを払わされている様な気分になっていた。
なんだかなあ。
バイクの調子は最悪。
銀行は戦いESPNを獲得した
しかし、今日はオーストラリアの公休日。
RACVもそうだが、ガソリンスタンドなどのガレージ等でのメンテや修理のサービスを受ける事はできそうにない。
心配そうな顔をするモーテルのフロントのおばちゃんに丁重にお礼を言い、(朝食代を少しまけてもらっちゃいました!)とりあえずエンジンが動くので、意を決してメルボルンへ向かうことにした。
はじめのうちは咳き込みながらも60〜70Km/h程度の速度を出す事ができ、徐々に安定した動きをする様になった。
しかし、登り坂はてんでダメ。20Km/hくらいまで速度が落ちる。
急な坂を登りきったところで咳き込みが激しくなった為、一旦停車することに。
メルトン付近でバイクを停めると、エンジンから白煙が吹いていた。
しまった、焼き付きか?
しかしエンジンを再始動する事は可能だった。
いずれにせよ少し休ませなければいかん!
そう思ってフリーウェイから外れ、メルトン市街へバイクを押して出た。
さて、どうしたものか........
ガソリンスタンドで思案していると、F-1レーサーのナイジェル マンセルに似たおっちゃん.....じゃない、ナイスミドルがやって来て覗き込んだ。
「どうかしたのか?」
話相手も欲しかったので、今までの経緯とバイクの症状をを大雑把に説明。
すると何も言わずに、まずキャブレターをチェック。
なんでもないことを確認すると、老児にこう言った。
「プラグを発火させるタイミングが狂っているんじゃないかなあ。今、手元に工具がないのでうちに来るといい。」
意外な展開に戸惑いつつも、これは天の助けに違いない!と、藁にもすがる想いで彼のワゴン車の後ろについて走った。
キャンプ小さなノッチ、グレンズフォールズ、ニューヨーク州の道順
ほどなく着いた彼の家で、彼の息子と、彼の犬とで協力して端子の接点をチェックして清掃。エンジンの咳き込みも多少ましになり、回転も先ほどよりはかなり安定した。
ワインと名乗る彼の名刺には「アンテナ工事技師」と書かれていた。
電気系統には強いはずだ。
ワインと、その息子と犬に丁重に例を言い、彼の家を後にした。
結局何一つ自力で乗り切ることができなかった。
旅を振り返ると、何かにつけて助けてもらったばかり..........
自分のレベルの低さを思い知る。
まだまだ学習と、経験を積む必要があるなあ、と痛感。
この国では、自分の車の整備マニュアルを当� �り前のように車に常備している。
うちのジェーンも含め、ふつうのおばちゃんでも自分の車は自分の手で応急処置くらいはするのだ。
そして、事故やら故障に難儀している人がいれば必ず声をかけ、手を差し伸べる。
街から街へ、何もないところが200km以上も続く様な環境下での生活。
立ち往生とは、場合によっては死を意味する。
だからこそ、そうした助け合いは極自然な、当たり前の行為なのだ。
思いかえせば、そうして声をかけてもらったり、助けてもらったりしたことばかりだった。
自分は........そして我が国はどうだ。
他人への気遣い、思いやり。
自分の乗る車やバイクの知識、あるいは構造や状況の把握。
どれだけの人が出来ていると言うのだろう� ��
サービス過剰で人任せな体質そのものが、日本を甘くてゆるい方向へと導く。
しつけ、教育、政治、外交..........
なんか、全部あてはまっちゃうじゃないか。
せめて自分は、そうならない様に.......と思う。
誰もが非現実的な生活6家を出ます。
バイクの調子はやはり完全とは言えない。
がんばれ!もう少し!........声をかけながら、ひた走る。
空港からの車が多い事と、アンザックデイのパレードの為にR78のシティー方面へのルートが閉鎖されていたことで大渋滞!
オーバーヒートしなきゃいいけど........
ひやひやしながらもなんとかシティー通過!
そしてグリーンズボロウの我が家についに到着!
ああ、目頭が熱くなる........
ジェーンがいた。アンドリューもいた。オもいた。
みんな家で待っていてくれた。
再会を喜び合い、抱き合い、キスの嵐!
終わったんだなあ〜。
荷物をおろし、部屋に入ると手紙が何通� �来ていた。
兄からは、頼んでいた音楽のカセットテープ。
母からは手紙と桜の写真。花見に行ったようだ。
日本の桜。やはり素晴らしい。
なんだろう.......再生してみると...........
テープレターだった。
彼の肉声で、いままで手紙を書かなかったことについてのお詫びや、彼自身の近況(つきあってる彼女のこととか(爆))、他愛のないバカ話など..........淡々と語られていた。
淡々と.......しかし温かい言葉の数々。
でも、それがうれしい。それが愛おしい。
緊張の糸がぶっつりと音を立てて切れた。
そして。
不覚にも涙が出た。
「字を書くのがめんどくさいから」
テープの中の声は語る。
なんか、ケレン味たっぷりじゃないですかっ!
確信犯だな、こいつは!(笑)
やられたよ、ホント..... .....
ナオコから電話。
リーの両親がメルボルンに来ていて、彼らのシティー観光のガイドを手伝っているとか......なんか微笑ましい。
週明けにはもう学校だ。いよいよセカンドタームが始まる。
夜、パムがやって来て、一緒に夕食。
ジェーン、アンドリューと共に、老児の冒険潭で盛り上がる。
ひとつの旅が終わった。
総走行距離、約3400Km。
ようやったなあ、実際。
ありがとう、ジェーンとその友人達。
ありがとう、旅で出会った人々、動物達。そして雄大で美しくも過酷な大自然。
そして、Z250C。わが旅の相棒。
他のだれよりも、最後までがんばってくれた、君に感謝、です。
そして明日から、また次の� �がはじまる。
走行距離:約140km(バララット→グリーンズボロウ)
最後にして最長の、140kmでした。
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